されど私の可愛い檸檬
久しぶりに舞城王太郎作品を読みました。短編3話が収録されていて、そのうち一編は書き下ろしです。
2冊2ヶ月連続発刊で、もう一冊の林檎と共に読了しました。非常によかったですね。
舞城王太郎さんは、私の一番好きな作家さんです。
一番好きなのは「ディスコ探偵水曜日」なんですが、今までの作品とかと比べると、林檎もそうなんですけど、なんというか、新しい舞城でした。
今までの舞城作品…例えばディスコなんかは、ファンタジーでSFでミステリーで、物語で起こる出来事は、わりと現実的でないことが多いのですが、この短編集はそういうことがなくて、実際にあるかもしれない出来事しかでてきません。いや、たぶん、ちょっと変わった出来事だから、実際にはほとんど起こらないのだろうけど、起こりそうなのです。
表題作、されど私の可愛い檸檬、最近自分の生き方に迷ってた私にグサグサ刺さるホラーじゃないけど私にとってのホラー小説でした。
《檸檬の意味》
もう一冊の林檎では、なぜ林檎なのかわかりやすかった(英語のイディオムが引用されています)のですが、檸檬については文中では明言されないのです。
それで、レモンの英語でのイディオムを調べて見たのですが、レモンにはポンコツとか出来損ないという意味があるみたいです。
あぁ、されど私の可愛いポンコツ。これはわかりやすいです。文中には、ポンコツという言葉が出てきます。
《タイトルの私とは誰なのか》
このお話は、主人公が青年期から家族を持つまでが描かれています。はっきり言って、主人公は決断が甘いポンコツです。最終的に、キラリと光る能力があったにもかかわらず、その仕事はせずに、やりたいことがあったにもかかわらず、結局、若い頃にやりたかったことができず、キラリと光る仕事は不義理して、子どもができて、主人公のもともとやりたいと思っていたこととは離れた、滅茶滅茶な先輩の敷いたレールにそった仕事をして生きることになります。それでもその中で主人公は生きます。そして皮肉なことに、何を仕事にするか自分の意思で決断できず自分でどう動くべきか決められなかった主人公は、生きるために、向いてもなくやりたくもなかった仕事において《決断することの重さ、厳しさ、重要さ、辛さ》を自覚するのです。
はっきり言ってこれは恐ろしい話で、私たち、いや実際は私の身に起こっていることで、背筋が凍りました。私は、自分の人生を決断してきたのか???
私の檸檬の、私とは誰なんでしょう?
ポンコツでも、かわいいんだ、というのは、誰なのでしょう。
レモン=ポンコツと仮定しておいて、レモン=私である場合には、私の私となってしまうから、矛盾しています。レモンがポンコツ加減というニュアンスなら成り立ちますが。まあ、タイトルの私は主人公自身ではなく、周りの恋人や職場の人なんだと思います。
本文でも言及されていますが、他人は優しいのです。それはその通りで、ポンコツに対してもみんな優しいんです。だけど、その優しさ、可愛いという気持ちは、私自身の人生を良い方向には導きません。
自分の意思決定をいかに正しく行い、考えて行動するかなんだと思います。
ぼーっと生きてるんじゃねーよってこと。
私は最近になって本当にこれを思います。
何かを成し遂げたい、成長したいと思ったら、ぼーっと生きてたらできないって、最近思います。
これまで、ぼーっと生きてきたから。
だから、この小説は、本当に怖かった。
時間を作って、他の話の感想も、そのうち書きたいな。林檎もレモンもどの短編もよかったです。ファンなので絶対悪く言えない色眼鏡もかかってますが、やっぱり好きだ。